はじめまして

初回なのでプロフィールを書こうと思います。

◆管理人のプロフィル。

1986年大阪府堺市東区で生まれ育ちました。

大阪の中では郊外エリアでもあり、幼少期には地元にもけっこう自然も残っていてパンの耳持ってザリガニ釣りをしたり、近所の畑を走り回ったりしてました。家の裏は普通に「山」だったのを覚えています。駅前には商店街もあり下町の雰囲気のあるいい街でした。

小学生の頃はひたすらゲーム。初代ポケモン世代なのでゲームボーイと通信ケーブルが必需品でした。ミニバスケットボールチームにも入っていて結構チームでは中心選手だったと自負してます。

◆中学代にオシャレに目める

中学生になると、やはり気になるのは女子の目線。

当時はストリートカルチャーの黎明期でもあったので、STREET JACKなどの雑誌を穴があくほど読んでいました。A BATHING APE ,STUSSY, SUPREMEなどを求めて靴下の中にお金を隠しながら南堀江やアメ村に買い物に出かけました。 (当時のアメ村などはキャッチや強引な客引きがすごくて怖かったのです。)

スケボーにも興味を持ち始めてよく大泉緑地で滑ってました。買ったばかりのNIKEのエアプレストで滑ってしまい穴を開けたことで一人夜泣きしたこともありました。

勉強もイマイチ、運動もイマイチでしたが、女子や近所のおばちゃんたちからオシャレだね!とか言われるようになり、思考回路もものすごく単純だった為、この頃に初めて将来は洋服に関する仕事がしたいと思うようになりました。

◆高校代はとにかく

高校に進学するととにかく遊ぶようになります。

この頃は空前のクラブブーム。学生イベントが昼夜問わずバンバン行われていて、例に漏れず没頭していきます。

服装もストリートな装いからより女子受けのいいハイブランド志向になっていきます。

この頃バイトで稼いだお金は全て、DOLCE&GABBANAやARMANIなどに注ぎ込みます。

そうこうしているうちに受験間近。何もかも漠然と生きていたこともありフリーターとなってしまいます。

◆フリー時代。

めでたく高校を卒業してフリーターになります。

時はショップ店員という言葉がもてはやされていて、見た目もよく実力もある人がカリスマ店員と呼ばれていたりなんてしている頃でした。

そんなこともあり販売員に憧れを抱いていて、運よくドメスティックのコレクションブランドにアルバイトとして入れたので、高校時代からやっていた居酒屋のバイトと掛け持ちで働き始めました。

初めて一ヶ月でなぜこんなに働かなきゃいけないんだって思いながらも、掛け持ちで得た今まで手にしたことのない額のお金の使い道に迷い始めます。(今思えば20万ちょっとなのですが。)

僕は迷うとあらゆるところを掘り下げてしまう性格です。

最終的に周りには働いている友達もいましたが、ほとんどは学生。「このままじゃ俺はやばい気がする」という考えになりました。

となっても、どうやばいのかはわかりません。

数ヶ月迷いぬいた挙句、当時は漠然と《手に職》みたいな風潮もあったので、洋服の専門学校に行くことを決めました。

幸いアルバイトでそこそこのお金を貯めることができていたために、入学金や初年度学費に関しては自身で工面することができました。

◆挫折きの専門学生代。

専門学生活は挫折の連続です。

入学早々、自分よりオシャレな人はいっぱいいます。自分より裁縫がうまい人、パターンメーキングがうまい人、自分より絵のうまい人。もうそんな人だらけで自分には才能がないと思い始めます。

すっかりやる気をなくしてしまい、興味は別に向いていきます。後ほど活きてはくるのですが、この頃は空前のバックパッカーブーム。

ブームには乗ってしまいやすいのでバイトしながら国内外へと旅へと出かけました。

そうこうしているうちに時は過ぎ、初めての就職活動でしたが、うまく行くはずがありません。

希望しているような大手企業などは全滅でした。

◆初めて感じる社会のカースト的な部分

なんだかんだで学生時代にインターンでお手伝いしていた小さな会社に内定をもらい、無事に就職。入社した会社では営業企画としてアパレルメーカーに向けてのOEM生産の仕事を行いました。

初めての商談、初めての海外出張などにワクワクしていたのも束の間、取引先担当者の横柄な態度に右往左往される毎日。

テレビで見たことのある下請けいじめや、低学歴差別みたいなものを感じる日々でした。

◆転機は突然。

肝心の服作りに関してもコレクションどころか量販店の二番煎じのものばかりの依頼。自分でも韓国や中国で受けそうな商品を買ってきて提案する日々。100時間近い残業にも関わらず手取り10万円を切る給料。

仕事なんてこんなもんかな……と思っていたところ

たまたま飲み屋で知り合った方の紹介で転職を決意してMARK STYLERという会社に入社しました。

今でこそアパレル業界ではそこそこの企業になっていますが、僕が入社した当初は業界の人でもどこそれって感じの会社でした。

結果僕はこの会社で7年を過ごすことになります。

何をするという明確な辞令もない中、入社当初は意味不明なまま女性だらけの店頭勤務を命じられました。

やや腐りながらも1年ほど勤務していた頃、ふと何事も東京から指示され優遇しているという状況を感じ始めました。

そこから東京に行きたいという気持ちがどんどんと強くなりました。

そうとなれば東京に行くために結果を残すことだけを目標に日々励みました。

何をすれば認められるのかもわからなかったですが、とにかく店舗の売上を上げることを目標に半年ほど勤務したのち、営業担当として東京本社への異動となり、念願叶い東京での生活がスタートしました。

◆東京での生活。

そんなこんなで、東京に引っ越して営業としての仕事をスタートさせました。

鼻息荒く東京にきた僕はとにかくここでも結果を残すことに必死になります。

それこそブラックどころじゃないくらいの勤務状況を送る日々です。

そんな中でも、今とは違い当時は会社もどんどん新しいブランドを作って頑張っている若手を事業部長に抜擢みたいな流れが会社にはありました。

外部からも人が入社して、どんどんと会社は大きくなっていきます。

僕もサッカーの本田選手ばりにビックマウスとアピールを繰り返して東京に来て2年後一つのブランドを任せてもらえるようにまでなりました。

ここで事業に対しての係数や事業計画の作成などを学び始めます。

小さな事とはいえ一つの達成感を感じ始めたことで、また様々なことに興味がちらついてきてしまいます。

給与も幸いにも上がってたので、学生時代好きだった旅行にもこの頃からまた行き始めます。

小さいとはいえ一つの事業を全体的に見る事で、今まで関わることのなかった方にも関わることになります。

そこで出会った方々と仲間内で細々とOEM生産を請け負ったり、海外旅行ついでに個人輸入したりということを始めました。

◆そして独立。と思いきや転職

気づけばまた2年の時がたち趣味程度に初めていた副業が本業である会社員給与を超え始めました。

そうなってくると頭の中によぎるのは独立。

とはいえ、安定収入がないのも怖いなぁと思いながらもとりあえず無鉄砲に腹をくくり退職を申し出。

独立を決めたはいいけどコンスタントに仕事もないしどうしようかなと思っている矢先に新しいブランドを立ち上げの手伝いをしてほしいという依頼がありました。

こうして独立した直後にまた就職ということになるのです。

◆今度こそ本当に独立。

そんな感じで転職しましたが、当初こそ立ち上げたばかりの会社とブランドのことで頭がいっぱいでしたが、順調に業績も上がり人員が増えて落ち着いてくるとまた前社を退職した時の様な気持ちに戻るのです。

会社は順調でしたが以前にも増して旅行などに行く機会も増えて「いつまで東京にいるんだろう」と思う様になりました。

こう考えるようになって来た頃には東京に対しての憧れなどなくなっていて、生まれ育った街に帰りたいと思い始めました。

そこでようやく本当に独立を決めて動いて行きます。

◆地元をつめ直す。

ぼくは便利で都会的な暮らしが好きです。東京という街はとても魅力的で機能的です。お金もあれば一人で住むには楽しいこともいっぱいです。

頭ではそう思っていても、久しぶりに帰った故郷は東京と比べると建物や人は少ないにしても、やはり生まれ育った場所というその人にしかわからない温かみがある様に感じます。

それは友人であったり、家族であったり育って来た環境に由来するのかなと思います。そう考えながら何度か帰省していると、ここで暮らしたいと思い始めて色々なことを考えました。

単純思考の僕は街をよくするためには企業にお金があればそこで働く人が増え、周辺の店も賑わい、お店にもお金が増えるだろう。それに人が増えれば町に活気が生まれるし、行政にもお金が増えて暮らしももっと便利になるだろうと思いました。

◆そして今へ。

単純に考えてみたものの、何から始めればいいのかもわからないですが、そこはお勉強していきます。

そんこんなで現在は会社を離れ、企業のコンサルティングを受けたり、アパレルのOEM生産を請け負ったりをしています。

何をすればいいかわからないので、まず自分の時間を確保して、東京にいながら頻繁に地元に帰って地元のいいところを探すことから始めました。

ここでは僕の見つけた地元のいいところなどを紹介していければと思います。

この活動を通じて、まず自分にできることをしながら、その上で地元に何が出来るかを考えて動いて行きたいと思います。

以上、プロフィールというより個人史でした。

Good regard.